*** 2005年9月12日(月)〜3日目、私は今、風を生んでいます ***

 同宿の男性二人は朝早くに出たようだ。ひとりユースで朝食を済ませ、ご主人に見送られてわたしも瀬戸田しまなみユースを後にする。
 前日の強行軍がかなり身体にきている。しかし宿はもう予約してしまっているので、何があってもたどりつかねばならない。

向上寺三重塔 極力どこかへ寄るのは控えようと思いつつも、この島に国宝三重塔があると知り向上寺へ行く。地図で付近まで行けばどこかに看板が出ているだろうと思ったが、それらしき寺が見当たらない。ちょうど近くの家から出てきたおばちゃんに聞いてみた。

 「観光の人にはあっちからの緩やかな坂道を案内するんだけど、こっちのお墓の間を突っ切って行った方が早いのよ」

 おばちゃんはわたしがレンタサイクルに乗っているのを見るや、体力に自信があるものと考えて急勾配の道なき道から入る近道を教えてくれた。
 身体は悲鳴を上げたが、人の善意というやつだ。教えてもらった道をざくざく進み、ワイルドな蚊にたかられながら、和様メインで唐様を細部に取り入れたという朱塗りの塔をぐるりと見物する。

 もう少し待てば近くにある平山郁夫美術館が開館時刻になるところだったが、入ったが最後数時間は観てしまう危険があったため、あえて先へ行く。

 しまなみ海道推奨サイクリングロードには、ところどころ地面に緑色のマーキングがしてある。それを頼りに生口橋を目指す。
 午前中からかなり気温が上がっているようだ。しかものぼりの道が多い。へろへろと人力風を漕ぎ出しながら行くうち、久しぶりに出くわしたマーキングを見て、わたしは凍りついた。

 『今治サイクリングコース』

 ……待て。これは今治から来た人用なのか、それとも今治へと向かう人用なのか?
 暑さゆえほとんど見ていなかった地図をママチャリのカゴから引っ張り出し、現在地を探す。
 何ということだ。いつの間にか違う道に入っていたらしい。前日には通らなかった道なので気づかなかったが、このまま走っていたら多々羅大橋に逆戻りするところだった。
 引き返して尾道コースのマーキングを見つけ、ようやく先に進む。

 どうにか生口橋を渡り因島(いんのしま)に入る。
 海沿いの道から坂道になり山あいの道を行く。それほど急でもないのにペダルが重く感じられ、少し走っては休むの繰り返しだ。
 何度目かの休憩時にふとママチャリのハンドルに目を落としたとき、三段ギアが付いていたことに今さら気づいた。ママチャリだと思って最初から期待していなかったのだ。思いこみって恐ろしい。
 これはかなり心理的ダメージが大きかったらしく、一気に疲労を覚えた。
 もはや体力に余裕はない。これ以上ヨケイな道を走るまいと思いつつ地図をきちんとチェックするべくのぞき込んだわたしは、決意したそばからまた困ったものを見つけてしまった。

 『因島水軍城』

 全国で唯一の水軍城である。
 わたしは不勉強で日本史をほとんど知らない。学生時代には中世末期のイングランドで海賊と呼ばれていた人々のことを扱った稚拙な卒論でどうにか学校を出してもらった。その史料探しの過程で、日本の水軍に関するものが色々検索できたことを思い出す。詳しく調べたことはないのだが、瀬戸内海に展開した日本の水軍は、地域社会における機能的にも、また中央政権との関わり方としても、イングランドのそれと似通った部分があるように思えていたので、ちょっと気になっていたのだった。
 前日の大島でも能島と村上水軍資料館に寄りたかったのだがこれらを断念してきただけに、せめてこれは見てみたいと思った。
 というわけで、コースをはずれて水軍城へ向かう。

因島水軍城 入口付近で自転車を降り、急傾斜の坂を歩いて水軍城へと向かう。坂の上にみやげ物屋が向かい合って二軒あり、手前の門からさらに階段が延々と続いているのが見える。本丸はさらにその上のようだ。
 どうせ明日はこんぴらさんに挑戦するのだ、その予行演習と思おう。
 というわけでゆっくりのぼる。

 ようやくたどりついた本丸の前に立ったとき、イヤな予感がした。
 この城、何だかキレイすぎやしないか?

 思った通りだった。
 水軍城は昭和58年、史料をもとに再現されたものだった。
 ……いやまあ、それが悪いってわけじゃないんだけど……。

 展示内容で面白かったのは、やがらもがらと水軍鎧。
 やがらもがらというのは、大槍にギザギザのついた、熊手みたいな長い得物で、これで敵を引っかけて海に落としたり、逆に海に落ちた敵将をこれで引っかけてすくい上げてから首を取ったりした。
 水軍鎧は通常の鎧と違い、水中で動くことを考慮して皮でできている。また鎧は下部を覆わない。水軍の戦闘ではむろん船を使用するから、船の側舷が弓矢などから下半身を守ってくれるとの計算だったのだろう。

 本丸はさほど広くないので、展示もそう多くはない。
 ふもとにある因島市立史料館には寄らなかったのだが、せっかく良いものを持っている土地なのだし、こちらでしっかりサポートしてくれていることを願う。

なぜかモアイと大黒さん なぜか恐竜
 コースに戻り北上する。坂は延々と続く。時折妙なテーマパークっぽいものがちらほら見えるが、さすがに暑いしもうヘロヘロだ。ひたすら先を行く。

 因島大橋を渡って向島(むかいしま)へ入る頃にはとうに昼を回っていた。
 もはや心は尾道へと飛んでいる。
 が。
 最後の難関が待ち受けていた。

 本州と四国の間には尾道水道がある。尾道大橋から本州に上陸しても良いが、わたしの場合は大島のレンタサイクルポイントでママチャリを借りる際、返却場所を福本渡船という渡船乗り場に指定してある。ここにたどりつかねばならない。
 最後の詰めが甘いのと学習能力がないのとは、わたしの悪い癖だ。
 渡船乗り場などひとつしかないと思いこんでいたので、「渡船乗り場 こっち」という看板を見るや、何も考えず矢印の示す方へと向かったのだ。
 確かに乗り場へは行けたが乗り場違いだった。
 またもえらく時間をかけてぐるりと戻り、ようやく目指す渡船乗り場へ。
 ママチャリを返し、数分間車と一緒に運ばれ、尾道に着いたときには三時を回っていたと思う。

 尾道に昨夜の選挙戦の騒ぎをしのばせるものは何も残っていなかった。
 静かなアーケード街を抜けてわたしが一路目指したのは、尾道ラーメン屈指の名店と伝え聞いた朱華園。しかし当の朱華園は「うちのは尾道ラーメンではない」と断言しているらしい。確かにメニューには「中華そば」とある。
 わたしはラーメン通というわけではないので、何がどう違うのか、そもそも尾道ラーメンとは何ぞやということすら、よくわかっていない。
 東京に戻ってから調べたところによると、「尾道ラーメン」とは、もともと尾道の隣にある福山で販売された商品の名称らしい。鶏ガラと小魚だしをベースにした濃い醤油味のスープで、豚の背脂ミンチが入る。
 朱華園のラーメンも確かに濃い醤油味で豚の背脂ミンチも浮かんでいるが、小魚だしが入っていない。

 昼時には行列ができると聞いていたが、三時過ぎだったのですぐ座ることができた。それでも席はほとんどあいていない。平日だというのに。
 朱華園のラーメンは泣けてくるほど美味しかった。
 もっとも、このときのわたしは、何を食べても美味しいと思っただろう。
 とにかく暑くて疲れていたし空腹だった。
 しかし、こってりしていたのにするすると入ってしまったのは不思議だった。

 ようやく人心地ついたところで、少し元気になって尾道駅まで歩き、山陽本線で倉敷へと向かう。
 倉敷に着いたのは五時少し前だった。ホテルに直行してそのまま倒れこみ眠れそうな勢いだったが、ふと昨年ここを訪れた際、ホテルの水回りのゴージャスっぷりに負けて駅前にあるチボリ公園に行かなかったことを思い出した。五時からなら夜間チケットで入れるというので、少し待って入園してみる。

倉敷チボリ公園 本家チボリ公園はデンマークの首都コペンハーゲンにあり、アンデルセンもしばしば通ったという。
 夜のせいかアトラクションを楽しむ人はほとんどいない。平日の夜なので催し物の予定もないらしく、公園全体が閑散としている。つくりは北欧風で小じゃれているし、夜はライトアップもされるしで、恋人たちのデートに良いのではないかと思うのだが、意外にもカップルの姿もあまり見えない。しかも岡山県民の皆さんは半額期間らしかったのに。
 アンデルセン交流館にある図書室で北欧作家の絵本や童話を数冊読んでから園内をぶらりと一周し、外に出る。

 まさかあのゴージャスホテルに再び泊まる日が訪れようとは。
 そう、この日の宿は今回の旅のうち最も高価なホテル日航倉敷。しかもシングルの部屋が存在しないので、ひとりのくせにツインの部屋になってしまった。
 JALのマイレージクーポンは5000円単位で使用でき、お釣りが出ない。現金を出したくない今回の旅では、JALホテルズに泊まる日には支払い額がこの5000の倍数にできるだけ近くなるよう、時には食事を付けたり買い物をしたりして調節する。
 しかしここのホテルの場合は、宿代だけでちょうど5000の倍数を少し出る額だったので、これ以上加える必要性がない。
 では夕食をどうするか。繰り返すが現金は使いたくない。郷土料理やご当地名物を食するというのでない限り、外食は控えたい。
 というわけでまたも密輸入決定である。
 昨年は姫路駅の穴子ずしだったが、今回はもっと安さを求めて近くのスーパーで食料を仕入れる。
 ところが何ということか、スーパーのお総菜売り場でわたしは驚愕した。
 岡山産の米使用。愛媛の鶏使用。高知野菜使用。瀬戸内海の鮮魚貝類使用。
 こんなところで何気に西日本エリア食材使用のある意味ご当地料理と出くわすとは。
 あれこれ物色してみると、けっこう東京にない商品も入っている。
 二食分の食料を背中のディパックにムリヤリ押し込み、素知らぬ顔でフロントを通り過ぎる。部屋の鍵を十重二十重にかけてから(小心者)、部屋備え付けの高級茶器でお茶をいただきつつお総菜をつつく。初日に手弁当を持参した関係で箸が手元に残っていたので、その分ゴミも少ない。ここまで計算していたわけではなかったのだが。

 しかもわたしは誘惑に勝てず、この高級ホテルの客としてあるまじきことをもうひとつ行った。
 洗濯である。
 今回はチャリ移動の日があるため荷物はディパックひとつ、着替えもあまりない。旅の間に一度は洗濯をしないとまずい。
 前日の宿である瀬戸田しまなみユースには洗濯機と乾燥機があったのに、ついうっかりしてわたしは洗剤を持参しそびれたのだ。最終日である明日でも間に合うことは間に合うのだが、こちらのホテルなら何せ水回りが広々としているので洗い物がしやすいうえタオル乾燥用のバーがある。しかもボディソープではなく石鹸を提供してくれる。皮肉にも洗濯最適ホテルなのである。

 日焼けが火傷状態になっており、入浴がかなりキツい。
 ううう。せっかくのバスタブなのににわかマダムごっこが楽しめない……。

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